(2000.08.08更新)
2000前期FW
宗教人間学フィールドワーク報告書
ハンセン病文庫
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全国ハンセン病療養所入所者協議会編(1999) 『ハンセン病療養所 隔離の90年』 解放出版社

島比呂志 /  篠原睦治編 (1998)『国の責任―今なお、生きつづけるらい予防法』 社会評論社

「らい」園の医療と人権を考える会編(1995)  『「らい予防法」を問う』 明石書店

平沢 保治(1997) 『人生に絶望はない ハンセン病100年のたたかい』かもがわ 出版 

全国障害者解放運動連絡会議関西ブロック編(1992) 『知っていますか?障害者問題一問一答』 解放出版社

ハンセン病と人権を考える会編 (1997)『知っていますか? ハンセン病と人権一問一答』 解放出版社 


    
ハンセン病療養所の写真集
田中 里奈

     1.編者名   全国ハンセン病療養所入所者協議会編 
     2.書名    『ハンセン病療養所 隔離の90年』 
     3.発行所     解放出版社 
     4.発行年    1999 


編者紹介 
全国ハンセン病療養所入所者協議会(略称・全寮協) 
1951年1月、全国国立ハンセン病療養所入所者自治会によって組織される。

ハンセン病に対する社会の一切の偏見をなくし、入所者の基本的人権の擁護、入所者の療養権の確立と生活、文化の向上をはかることなど を目的に活動。

1999年5月現在の会員数は4783人。 


本を書いたきっかけ

1996年4月に療養所の人々を縛りつづけた「らい予防法」は廃止されたが、わが国のとったハンセン病政策で受けた人権侵害の数々は、何ら回復されないままである。

本書をとおして、療養所で生きることを余儀なくされた人たちの生き様、生の証をくみとってもらえればと願う。

ハンセン病における歴史が闇に葬り去られることのないように。 


全体の内容紹介

現在全国にあるハンセン病療養所は国立が13園、私立が2園である。

そのうち国立の13のハンセン病療養所を、春まだ浅き季節から、夏、秋、冬を経て、北は青森から南は沖縄・宮古島まで回り、そこで生きてきた人たちの過去の生活、人生の一コマを保存されているアルバムから写真を複写し、そして現在の姿はそのままカメラに収めた写真集である。 
 

 ・強く印象に残ったところ、他のメンバーに紹介したいと思ったこと 
印象に残った写真 
     ・p.48、49感覚が唯一のこった舌で花を愛でたり、本を読む人 
     ・p.63楽しそうな夏祭の様子 
     ・p.79愛生園の陶芸クラブの様子 
     ・p.100、101外島保養院の様子と、邑久光明園の成り立ち 
     ・p.118、121スポーツや娯楽の様子 
     ・p.144の藤本事件、p.145の竜田寮児童の通学拒否事件 
     ・p.153川端康成が沖縄の愛楽園を訪問している 
     ・p.165邑久長島大橋架橋 
 

まとめ 

私たちが訪れた愛生園の、例えば、寮やスーパー、海岸や橋などの写真もたくさんあり、私たちの実体験と重ねてみることができ、また、後のほうの解説にでは、日本におけるハンセン病の歴史が書かれており、写真とあわせてハンセン病の歴史を見ることができる一冊である。 
 この項の一番上に戻る   ページトップに戻る。。。。。。。。。田中里奈
 

[らい予防法廃止が残した問題]
高橋 亮

 著編者名  島比呂志 /  篠原睦治 
 書名       『国の責任―今なお、生きつづけるらい予防法』 
 発行所    社会評論社 
 発行年    1998年 

著者紹介
島比呂志(しま・ひろし)

1918年香川県生まれ。
1940年大陸科学院勤務。
1944年東京農林専門学校(現東京農工大学)の教員となる。
1947年ハンセン病療養所大島青松園入園、翌年星塚敬愛園へ転園。
1958年より同人雑誌『火山地帯』を主宰。 

篠原睦治(しのはら・むつはる)

1938年東京都生まれ。
          和光大学人間関係学部勤務。臨床心理学、障害児・者問題などを担当。
          日本社会臨床学会、子供問題研究会の企画・運営に参加している。 

本を書いたきっかけ
1996年4月1日、「らい予防法の廃止に関する法律」が実施された。

「らい」者を強制隔離し「らい」者に優生手術をを強要したことに集約せれる歴史の経過は、永年わたって、らい予防法とそれを補完する優生保護法のもとで進行されてきた。

その前後に篠原さんは島さんと対談する機会があり、そして「らい予防法は、いま、なお、生き続けている」という厳粛な現実を内外に抱えつつ、その軸にある「国の責任」を問うために、この本を編んだ。 
 

 ・全体の内容紹介
「第1部 いま、なぜ、らい予防法を問うのか」、
「第2部 いま、なぜ、らい予防法廃止を問うのか」、
「第3部 裏切られた人権回復―らい予防法廃止の問題点」

としてまとめている。

第1部では、篠原さんは、島さんの小説『海の沙』に出会ってこの問題を考えるようになる。1994年9月国立らい療養所星塚敬愛園に暮らす島さんを訪ねた時の対談である。

第2部は、らい予防法が廃止され、事態が急展開したあとの対談である。

第3部は、島さんがらい予防法、予防法廃止などの問題をめぐって発言しているのをまとめたものである。 
 

強く印象に残ったところ、他のメンバーに紹介したいと思ったこと 
この本を読んで印象に残ったのは、本の題名どおり国の責任です。国または厚生省の考え方にとても違和感が残りました。

法律が中心に書かれていて内容も理解しにくい部分が多かったのですが、納得のいくことがあまりなかったようにも思えます。

紹介したいことは、廃止法が残した問題と7月12日の神戸新聞に載っていた島比呂志さんについての記事です。 

らい予防法が廃止となり、療養所に入っている人はほとんど無菌治療されているのに療養所にハンセン病と名が残っていることです。

島さんは予防法が廃止されたので、当然その名称も変わってくるのだと思ってました。

それは、療養所の患者は元ハンセン病であって、今は治っていて、これからハンセン病になった時はハンセン病療養所ではなく、一般の病院で治療できるからです。

この法案は、患者代表の委員からなる見直し検討会の報告書に基づいて作成されており、平均年齢七十歳ぐらいで重度の後遺症を持つ患者が、変化を望まないというのもあり、患者に従来通りの医療・生活・福祉サービスの保障をするということに集中されたから、廃止法といってもあまり変化がなかったのかもしれない。

しかし、この法案に社会復帰を希望する人には、なんの保障も規定されていません。

同じ強制隔離をされてきた患者さんなのに療養所に残る人には保障があって、出て行く人には何の保障もない。

国の誤った政策により、患者やその家族の人権を損害した罪は重く、その被害を償うのは国の責任です。

社会復帰をする人に特別な保障をしてほしいとは思いませんが、せめて、療養所に残る人と同じくらいの保障はしてほしいと思います。 

「社会復帰の真の意味とは、どういうことなのか、らい予防法の被害者に反省陳謝した国に訊きたい。

らい予防法廃止でまず考えるべきことは、何十年も強制隔離してきた入所者を、一人でも多く社会に戻すことではないのだろうか。それが国が負うべき最大の責任であり、最初に考えなければならない、最重要課題ではなかったのだろうか。」というのは、まさにそのとおりです。

療養所で生活を保障してくれたらいいと言っている患者さんも多くいるだろうが、患者がどう思っていようが、まず社会復帰させようと考えるのがあたりまえです。 

そして、この本を読んで一番印象に残り腹がたったのは、保険証のことです。

廃止法には国立のらい療養所の入所患者にも被保険者となる権利が復活する、と書かれています。

保険証には、一般の医療機関への通行手形ということばかりでなく、それを所持することによって、人並み、世間並みになれるという、差別からの切実な解放願望がこめられています。

だから、保険証は人権回復の確証となる唯一ものでした。 

しかし、現実では保険証を手にすることのできた患者は一人もいません。

「国民健康保険法を改正してハンセン療養所の入所者を被保険者と認めることにしたが、施行規則によって加入を認めない」と国民健康保険法の一部改正でそうなっています。

なぜそのような矛盾をあえて強行しているのかが分かりませんでした。

国民健康保険法第六条による適用除外のほとんどは共済組合法などによる他の健康保険の会員であって、疾病で対象になっているのは「らい」だけです。

保険証がないために、「お前、日本人か」と医者に言われた人もいたそうです。

そんなことをいう医者はごく一部で、医者全員がそんなことを言うとは思いませんが、これは元ハンセン病患者ということを暗に示しています。

医者ならば、保険証をもっていないのは元ハンセン病患者だということぐらい習っているはずなのにどうして医者からそんな言葉がでてくるのかと思いました。

また、なぜ国は保険証を発行しないのか、なぜそんなに発行するのに長い時間をかけて議論をしなければならないのかが不思議で、納得がいきませんでした。 

療養所の患者さんは、これからどんどん減っていき、それにともない医者の数が減っていくのも目に見えてわかっていることです。

だからこそ保険証の発行を急ぐべきです。たしかに、強制隔離をされていたころ、廃止法がでるまで、ひどい言い方かもしれませんが、日本人として扱ってもらえなかったところがあったかもしれません。

しかし、名ばかりの廃止法もでていて、患者さんは無菌状態、元ハンセン病というだけで今は普通の高齢者と変わらず、高齢者に見られる同じような病気になっていると思います。

保険証ですべてというわけにもいかないけど、多くの問題を解決してくれるのでは、と思いました。 

『国の責任』の著者である島さんが、7月12日の神戸新聞に社会復帰1年の感想をつづっていました。

「ハンセン病療養所生活50年外に出て気づく『隔離』の意味」という題で、書かれていました。

内容は、50年の隔離生活を経て社会に復帰し、見るもの聞くもの触れるものに隔離を感じずにいられない、50年も前の記憶しかなく隔離生活の長さが物語っているものでした。

その間周りの状況を知るには新聞やテレビ等ですが、自分の目や耳で実際に体験しないと、それだけでは時代の流れは分からないと思いました。 

      また最後に、「隔離の中に隔離を感ぜず、隔離の外に出て隔離の実態に気付くとは、何という人間の心の不思議さであろうか。」とつづっていました。 

     この項の一番上に戻る   ページトップに戻る。。。。。。。。。高橋 亮

 
 

 『「らい予防法」を問う』 

中村知香子

 この本は一人の著者がいるというのではなく、何人かの人が書いたものを「らい」園の医療と人権を考える会の人が追加し、まとめている。

そして世論になりがたい「らい予防法」から問題を提起し、敗戦五十年という折り目でその問題を浮きぼりにしていこうということが、この本の書かれるきっかけとなっている。
 

 全体の内容紹介として第1章はおもに「らい予防法」とその廃止や改正問題についてである。

 第2章は「医の傲慢」と題して、療養所の対応や、警察のらい患者に対する無残なまでの偏見、ある医者のハンセン病に対する無知からくる差別的な発言などがとりあげられている。またエイズ患者とハンセン病患者をつなげて、一部の権力によって作られた悲劇が書かれている。

 第3章は「らい園」に置ける在日朝鮮人の一側面ということで祖国を思う心や、ハンセン病に対する差別だけでなく、外国人ゆえにおこる差別についてもかかれている。
 
 

 私には第2章のHIVとハンセン病を治療薬での面で関連付け、書かれたところが興味深かった。

一番強烈に響いたのは人体実験ともいえる仕打ちである。

HIV感染に関しては厚生省はクリオ製剤というものの承認を出さず、病院では非加熱の血液製剤を危険と知りながら使用しつづけたということである。

 ここでさらに知ったのは、阿部名誉教授という血友病専門医の指導的立場にあった人物が、
約50人の受持ちの患者でHIVに感染していないことがはっきりしている人に非加熱製剤を投与し続けたり、すでに感染している患者に新薬である加熱血液製剤を投与するという治験に無断で参加させていたということである。

医師により人間の生命が左右されるという極端に悪い現実の例である。
 

 そしてハンセン病でも新治らい薬で悲劇が起こっているのである。

太平洋戦争の最中1942、43年に相次いで登場した「虹波」「セファランチン」など、効かないだけでなく、逆に症状が悪化するような薬が患者に投与されたのである。

「看護婦の前で正直者は副作用に堪え、眼をつむって薬を服んだ。ずるいものは服んだふりをして捨て、全ての患者に新薬への新たな不信が培われた」という文が引用されている。

医師は患者のことをなんとも思っていなかったのか。

このことに関しては、本文でも「“たかがらい者だ。

少々のことで文句など言わさぬ”」と書かれているように、当時の医者が、人を人として見ないような見方をしていたことの表れといえるであろう。

 
 現在も医療現場で不注意により患者が死亡したなどという報道がされているが、人が人の命を悪い方向に仕向けることは意図があるにしろないにしろ、絶対に起こってはならないことである。

そういった意味でもこの内容は非常に衝撃的であり、考えさせられるところがあった。                                         

    この項の一番上に戻る   ページトップに戻る。。。。。。。。。担当 中村知香子
 

 
 
平沢 保治『人生に絶望はない ハンセン病100年のたたかい』
奥平 晃司


著者略歴]
1927年茨城県生まれ。
13歳のときハンセン病と診断され、14歳で国立ハンセン病療養所・多磨全生園(東京都東村山市)に入園。

戦後、ハンセン病患者・回復者の運動、地域の障害者運動に関わる。らい予防法下を行きぬいた一人として、命の尊厳をテーマに、小学生から大学生、医療・看護・福祉を専門とする人たちとの対話活動を本名を公表して行う。

現在、高松宮記念ハンセン病資料館運営委員、東村山市身体障害者患者連絡協議会副会長、多磨全生園入園者自治会会長などを務める。

1993年度東村山市福祉功労賞、
1997年東京弁護士会人権賞受賞。 

この本は平沢保治さんが「らい予防法」が廃止になった1996年から一年間、学校や医療・福祉機関などから依頼を受け、お話してきた内容に若干加筆されたものです。

内容紹介
第7章に分かれていて、入園する前の話から始まりらい予防法が廃止された後までが書かれています。

著者が行われてきた活動の話を中心に、実名を公表して活動するにいたった経緯や東京HIV訴訟元原告の川田龍平さんとの対話などが書かれています。 
 

強く印象に残ったところ、他のメンバーに紹介したいと思ったこと
この本の中で繰り返し言われている本名は名乗ったけれど、故郷の地名は明かせないということが強く印象に残りました。

ハンセン病患者・回復者には生まれたところはあっても故郷はない、らい予防法が廃止になってどこにでも行けるようになったけども故郷の家の敷居はまたげないという現実が人間の偏見をなくすことの難しさを表していると思いました。また、新薬プロミンによって治る病気になっていたにもかかわらず、開放医療政策ではなく引き続いての隔離政策をとる法改正が行われたことを知り驚きました。

隔離された生活の中で一番嬉しかったことが、戦争中B29が撃墜されたりしてその後片付けなどで外に出られたことだったそうです。

重労働をしなければいけないということよりも外に出られることが嬉しかったそうです。

自分にとっては外に出られることなどごく当たり前のことだと思っていましたが、偏見などのために外に出ることもままならない人の事を知り、考えさせられました。 

この項の一番上に戻る   ページトップに戻る。。。。。[奥平 晃司]
 
 
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障害者問題として
叶丸 貴子


全国障害者解放運動連絡会議関西ブロック編(1992)『知っていますか?障害者問題一問一答』解放出版社


 (本文)
著者紹介 50音順
          稲葉道太(草の根ろうあ者こんだん会事務局長)
          臼井久美子(障害者大阪連絡会議事務局長)
          尾上浩二(DPI日本会議事務局員)
          川端利彦(大阪樟陰女子大学教員)
          姜博久(全障連関西ブロック事務局員)
          楠敏雄(全障連関西ブロック顧問)
          志村哲郎(山口女子大学教員)
          古田朋也(障害者大阪連絡会議事務局員)
          堀智晴(大阪市立大学教員)
          牧口一二(街づくり条例大阪府民の会代表)
          町田茂雄(南海福祉専門学校)
本を書いたきっかけ(はじめに より)
  (前略)世界の人口のおよそ一割が障害者で占められているにもかかわらず、障害者のおかれている実態や障害者問題の本質について、正しく理解している人は、残念ながらそれほど多くはありません。
 そこで、私たちは、初めて障害者問題を考えてみようと思われる方を対象に、この本を編集しました。(後略)
全体の内容紹介
 題名の通り一問一答で障害者に関する様々な問に答える。全22問。
 かなり難しい質問に 易しい文章で回答していることや、「初めて障害者問題を考えてみようと思われる方を対象に」書かれていることから、しょうがないことだが、少しばかり答えが一面的だと、わたしは思う。
強く印象に残ったところ、他のメンバーに紹介したいと思ったこと
 盲・ろう・養護学校高等部卒業生の進路(全国、1997年度)グラフなど、障害者の現状がよく分かる資料が多く、優生思想、バリアフリーなど、一言では説明しにくいことを丁寧に解説してあり、「取っ掛かりの一冊」には最適だと思う。
叶丸 貴子

 

「ハンセン病を学んで」 
       熊丸 拓

ハンセン病と人権を考える会編 『知っていますか? ハンセン病と人権一問一答』 解放出版社 1997年 

著者紹介 
〔藤野  豊〕 1952年横浜生まれ。日本近現代史専攻。水平運動、日本ファシズム、被差別部落、そしてハンセン病など近代にあった差別、人権侵害について多数出版している。 

〔牧野  正直〕 1943年中国生まれ。ハンセン病医学専攻。大阪大学微生物病研究所癩部門にて抗酸菌特にらい菌の遺伝子工学の研究に従事。現在国立療養所邑久光明園園長。 

〔山下  道輔〕 1929年東京生まれ。1941年ハンセン病療養所「全生病院」に入る。1969年「ハンセン氏病文庫」設立に従事し、設立と共にハンセン病の文献資料の収集・保存と利用への提供にあたり今日に至る。 

本を書いたきっかけ 
いまだ社会に残るハンセン病にたいする根強い偏見をなくし、患者が社会復帰できるようにするため、著者はこの本を書くに至った。

また著者は、偏見の払拭には啓発や教育の果たす役割が大きいと考え、くりかえしおこなわれる啓発活動によって偏見は払拭できると信じている。

そのような活動に、少しでも役立つことができればという理由でこの本を書いたとある。 
 

全体の内容紹介 
 この本はハンセン病に関する様々な質問を一問一答形式で書いている。

ハンセン病とはどういう病気かということから、ハンセン病の人が強制隔離収容されたこと、「らい予防法」の成立から廃止にいたるまで、ハンセン病患者の歴史、療養所での生活、世界の状況などが数ページであるがしっかりと誰でもわかるように書かれている。

よってこの本は、ハンセン病について何も知らない若い世代の人たちが読めば大まかに概要は理解できる内容である。

また偏見が強いであろう高齢の人たちにとっても、改めて理解し直してもらうために、わかりやすくまとめてある。 
 

強く印象に残ったところ、他のメンバーに紹介したいと思ったこと 
 まず始めに、らい菌はなぜ皮膚や抹消神経を冒すのかということが私はこの本を読むまであまり理解できていなかった。

問1のハンセン病とどんな病気ですか?の答えによると、ハンセン病をひきおこすらい菌は他の病原性細菌と少し異なった性質をもっているとある。

その第一は、人間の神経と親和性が強いということである。

よって、人間の体内に入ると好んで末梢神経の中に入りそこで増殖して、手足の運動障害や知覚障害、特に温度覚や痛覚のまひがおこるのである。

末梢神経の次は、皮膚・粘膜、さらには眼、鼻、咽喉、睾丸などへと広がっていく。

第二は、他の病原性細菌より分裂するときの温度が低いことである。

このためらい菌は比較的温度の低いところを好む。つまり、人の体では手足の先や頭、顔、鼻、眼、耳たぶなどである。

そしてこれらの部位はすべて衣服から出ているために、この病気が嫌われる原因の一つとなった。

ハンセン病は特異な病気であるがために、偏見や差別の対象となってしまったというのがフィールドワークを通して、印象深く、悲しいことに思った。 

もう一つこの本で印象に残ったことは、日本が隔離に至るまでの背景である。

なぜこれほどまでに凄惨な歴史を作ってしまったのかということがこの本を通じて改めて理解できた。 

ハンセン病患者が隔離に至るまでには、まず先に前述したように、この病気が容姿を著しく変化させるという要因を持っていたことである。

それに加え、おおむね家族内に患者発生がとどまることから、遺伝病と考えられたことがある。

さらには、現在のように治療法がなく、「不治の病」であると考えられたことも大きな要因である。 

もう一つは社会的な要因である。

ハンセン病は古くから存在しており、『日本書紀』の記載によると西暦700年頃には日本に伝わっているとある。

それから約1200年間、ハンセン病は蔓延することもなく、社会の中で共存できていた。

しかし、ハンセン病が感染症であり、うつるということがわかると、社会はハンセン病を忌避するようになった。

社会と共存関係が成立していたにも関わらず、光田健輔ら療養所の医師たちは強引に法律を制定し、隔離を進めてしまった。

また、社会もハンセン病に関する知識が不十分であったがため、間違った情報を鵜呑みにし、恐怖感だけで法律の制定を許してしまった。 

この背景には、一つ目に現在と違って情報が少なく、医学も発達していなかったことがあげられる。 

二つ目に、優生思想が日本に深く浸透していたことである。この時代、日本はアジア侵略を進めており、ファシズム体制のもと国民は兵力、労働力としての「人的資源」とされ、健康であることが義務とされていた。

よって日本民族の質を低める病気として排除される対象となってしまった。

光田健輔らハンセン病の権威者たちはこの思想により、国のためを思い、ハンセン病を完全に国から排除しようとしたと考えられる。

この時代、人権は重要視されず、個人よりも国が第一であった。

三つ目に、日本という国は対外的な面で、恥とか体裁を重んじるという風潮が昔からあったことである。

欧米列強に近づこうとする最中、欧米ではすでに過去の病気となっているのに、日本に患者が大勢いるということは、まさに国辱であった。

また、欧米人からも神社や仏閣で物乞いする患者の姿を非難され、政府はハンセン病患者の一掃を考えることとなった。

以上を考えるとなぜ日本が他の国と違い、これほどまでにハンセン病患者の人権を侵害したかが見えてくる。時代によって考え方やニーズは異なるが、この時代に生きた人たちにはあまりにも惨い政策だったことが改めて思い知らされた。       



copyright(c)2000  Prof. Dr. OKADA Mamiko
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