ハンセン病文庫
全国ハンセン病療養所入所者協議会編(1999) 『ハンセン病療養所 隔離の90年』 解放出版社島比呂志 / 篠原睦治編 (1998)『国の責任―今なお、生きつづけるらい予防法』 社会評論社
「らい」園の医療と人権を考える会編(1995) 『「らい予防法」を問う』 明石書店
平沢 保治(1997) 『人生に絶望はない ハンセン病100年のたたかい』かもがわ 出版
全国障害者解放運動連絡会議関西ブロック編(1992) 『知っていますか?障害者問題一問一答』 解放出版社
ハンセン病と人権を考える会編 (1997)『知っていますか? ハンセン病と人権一問一答』 解放出版社
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1.編者名 全国ハンセン病療養所入所者協議会編 ・編者紹介 全国ハンセン病療養所入所者協議会(略称・全寮協)
1996年4月に療養所の人々を縛りつづけた「らい予防法」は廃止されたが、わが国のとったハンセン病政策で受けた人権侵害の数々は、何ら回復されないままである。
現在全国にあるハンセン病療養所は国立が13園、私立が2園である。・強く印象に残ったところ、他のメンバーに紹介したいと思ったこと 印象に残った写真・p.48、49感覚が唯一のこった舌で花を愛でたり、本を読む人 ・p.63楽しそうな夏祭の様子 ・p.79愛生園の陶芸クラブの様子 ・p.100、101外島保養院の様子と、邑久光明園の成り立ち ・p.118、121スポーツや娯楽の様子 ・p.144の藤本事件、p.145の竜田寮児童の通学拒否事件 ・p.153川端康成が沖縄の愛楽園を訪問している ・p.165邑久長島大橋架橋 ・まとめ 私たちが訪れた愛生園の、例えば、寮やスーパー、海岸や橋などの写真もたくさんあり、私たちの実体験と重ねてみることができ、また、後のほうの解説にでは、日本におけるハンセン病の歴史が書かれており、写真とあわせてハンセン病の歴史を見ることができる一冊である。 |
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[らい予防法廃止が残した問題]高橋 亮
著編者名 島比呂志 / 篠原睦治・著者紹介
書名 『国の責任―今なお、生きつづけるらい予防法』
発行所 社会評論社
発行年 1998年
島比呂志(しま・ひろし)・本を書いたきっかけ1918年香川県生まれ。
1940年大陸科学院勤務。
1944年東京農林専門学校(現東京農工大学)の教員となる。
1947年ハンセン病療養所大島青松園入園、翌年星塚敬愛園へ転園。
1958年より同人雑誌『火山地帯』を主宰。篠原睦治(しのはら・むつはる)
1938年東京都生まれ。
和光大学人間関係学部勤務。臨床心理学、障害児・者問題などを担当。
日本社会臨床学会、子供問題研究会の企画・運営に参加している。1996年4月1日、「らい予防法の廃止に関する法律」が実施された。・全体の内容紹介「らい」者を強制隔離し「らい」者に優生手術をを強要したことに集約せれる歴史の経過は、永年わたって、らい予防法とそれを補完する優生保護法のもとで進行されてきた。
その前後に篠原さんは島さんと対談する機会があり、そして「らい予防法は、いま、なお、生き続けている」という厳粛な現実を内外に抱えつつ、その軸にある「国の責任」を問うために、この本を編んだ。
「第1部 いま、なぜ、らい予防法を問うのか」、・強く印象に残ったところ、他のメンバーに紹介したいと思ったこと
「第2部 いま、なぜ、らい予防法廃止を問うのか」、
「第3部 裏切られた人権回復―らい予防法廃止の問題点」としてまとめている。
第1部では、篠原さんは、島さんの小説『海の沙』に出会ってこの問題を考えるようになる。1994年9月国立らい療養所星塚敬愛園に暮らす島さんを訪ねた時の対談である。
第2部は、らい予防法が廃止され、事態が急展開したあとの対談である。
第3部は、島さんがらい予防法、予防法廃止などの問題をめぐって発言しているのをまとめたものである。
この本を読んで印象に残ったのは、本の題名どおり国の責任です。国または厚生省の考え方にとても違和感が残りました。法律が中心に書かれていて内容も理解しにくい部分が多かったのですが、納得のいくことがあまりなかったようにも思えます。
紹介したいことは、廃止法が残した問題と7月12日の神戸新聞に載っていた島比呂志さんについての記事です。
らい予防法が廃止となり、療養所に入っている人はほとんど無菌治療されているのに療養所にハンセン病と名が残っていることです。
島さんは予防法が廃止されたので、当然その名称も変わってくるのだと思ってました。
それは、療養所の患者は元ハンセン病であって、今は治っていて、これからハンセン病になった時はハンセン病療養所ではなく、一般の病院で治療できるからです。
この法案は、患者代表の委員からなる見直し検討会の報告書に基づいて作成されており、平均年齢七十歳ぐらいで重度の後遺症を持つ患者が、変化を望まないというのもあり、患者に従来通りの医療・生活・福祉サービスの保障をするということに集中されたから、廃止法といってもあまり変化がなかったのかもしれない。
しかし、この法案に社会復帰を希望する人には、なんの保障も規定されていません。
同じ強制隔離をされてきた患者さんなのに療養所に残る人には保障があって、出て行く人には何の保障もない。
国の誤った政策により、患者やその家族の人権を損害した罪は重く、その被害を償うのは国の責任です。
社会復帰をする人に特別な保障をしてほしいとは思いませんが、せめて、療養所に残る人と同じくらいの保障はしてほしいと思います。
「社会復帰の真の意味とは、どういうことなのか、らい予防法の被害者に反省陳謝した国に訊きたい。
らい予防法廃止でまず考えるべきことは、何十年も強制隔離してきた入所者を、一人でも多く社会に戻すことではないのだろうか。それが国が負うべき最大の責任であり、最初に考えなければならない、最重要課題ではなかったのだろうか。」というのは、まさにそのとおりです。
療養所で生活を保障してくれたらいいと言っている患者さんも多くいるだろうが、患者がどう思っていようが、まず社会復帰させようと考えるのがあたりまえです。
そして、この本を読んで一番印象に残り腹がたったのは、保険証のことです。
廃止法には国立のらい療養所の入所患者にも被保険者となる権利が復活する、と書かれています。
保険証には、一般の医療機関への通行手形ということばかりでなく、それを所持することによって、人並み、世間並みになれるという、差別からの切実な解放願望がこめられています。
だから、保険証は人権回復の確証となる唯一ものでした。
しかし、現実では保険証を手にすることのできた患者は一人もいません。
「国民健康保険法を改正してハンセン療養所の入所者を被保険者と認めることにしたが、施行規則によって加入を認めない」と国民健康保険法の一部改正でそうなっています。
なぜそのような矛盾をあえて強行しているのかが分かりませんでした。
国民健康保険法第六条による適用除外のほとんどは共済組合法などによる他の健康保険の会員であって、疾病で対象になっているのは「らい」だけです。
保険証がないために、「お前、日本人か」と医者に言われた人もいたそうです。
そんなことをいう医者はごく一部で、医者全員がそんなことを言うとは思いませんが、これは元ハンセン病患者ということを暗に示しています。
医者ならば、保険証をもっていないのは元ハンセン病患者だということぐらい習っているはずなのにどうして医者からそんな言葉がでてくるのかと思いました。
また、なぜ国は保険証を発行しないのか、なぜそんなに発行するのに長い時間をかけて議論をしなければならないのかが不思議で、納得がいきませんでした。
療養所の患者さんは、これからどんどん減っていき、それにともない医者の数が減っていくのも目に見えてわかっていることです。
だからこそ保険証の発行を急ぐべきです。たしかに、強制隔離をされていたころ、廃止法がでるまで、ひどい言い方かもしれませんが、日本人として扱ってもらえなかったところがあったかもしれません。
しかし、名ばかりの廃止法もでていて、患者さんは無菌状態、元ハンセン病というだけで今は普通の高齢者と変わらず、高齢者に見られる同じような病気になっていると思います。
保険証ですべてというわけにもいかないけど、多くの問題を解決してくれるのでは、と思いました。
『国の責任』の著者である島さんが、7月12日の神戸新聞に社会復帰1年の感想をつづっていました。
「ハンセン病療養所生活50年外に出て気づく『隔離』の意味」という題で、書かれていました。
内容は、50年の隔離生活を経て社会に復帰し、見るもの聞くもの触れるものに隔離を感じずにいられない、50年も前の記憶しかなく隔離生活の長さが物語っているものでした。
その間周りの状況を知るには新聞やテレビ等ですが、自分の目や耳で実際に体験しないと、それだけでは時代の流れは分からないと思いました。
また最後に、「隔離の中に隔離を感ぜず、隔離の外に出て隔離の実態に気付くとは、何という人間の心の不思議さであろうか。」とつづっていました。
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。平沢 保治『人生に絶望はない ハンセン病100年のたたかい』奥平 晃司
・著者略歴]1927年茨城県生まれ。・内容紹介
13歳のときハンセン病と診断され、14歳で国立ハンセン病療養所・多磨全生園(東京都東村山市)に入園。戦後、ハンセン病患者・回復者の運動、地域の障害者運動に関わる。らい予防法下を行きぬいた一人として、命の尊厳をテーマに、小学生から大学生、医療・看護・福祉を専門とする人たちとの対話活動を本名を公表して行う。
現在、高松宮記念ハンセン病資料館運営委員、東村山市身体障害者患者連絡協議会副会長、多磨全生園入園者自治会会長などを務める。
1993年度東村山市福祉功労賞、
1997年東京弁護士会人権賞受賞。この本は平沢保治さんが「らい予防法」が廃止になった1996年から一年間、学校や医療・福祉機関などから依頼を受け、お話してきた内容に若干加筆されたものです。
第7章に分かれていて、入園する前の話から始まりらい予防法が廃止された後までが書かれています。・強く印象に残ったところ、他のメンバーに紹介したいと思ったこと著者が行われてきた活動の話を中心に、実名を公表して活動するにいたった経緯や東京HIV訴訟元原告の川田龍平さんとの対話などが書かれています。
この本の中で繰り返し言われている本名は名乗ったけれど、故郷の地名は明かせないということが強く印象に残りました。ハンセン病患者・回復者には生まれたところはあっても故郷はない、らい予防法が廃止になってどこにでも行けるようになったけども故郷の家の敷居はまたげないという現実が人間の偏見をなくすことの難しさを表していると思いました。また、新薬プロミンによって治る病気になっていたにもかかわらず、開放医療政策ではなく引き続いての隔離政策をとる法改正が行われたことを知り驚きました。
隔離された生活の中で一番嬉しかったことが、戦争中B29が撃墜されたりしてその後片付けなどで外に出られたことだったそうです。
重労働をしなければいけないということよりも外に出られることが嬉しかったそうです。
自分にとっては外に出られることなどごく当たり前のことだと思っていましたが、偏見などのために外に出ることもままならない人の事を知り、考えさせられました。
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