(2000.08.08更新)
2000FW
宗教人間学フィールドワーク報告書
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ハンセン病と園で発明された介護用品
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・叶丸 貴子
フィールドワークに行ってはじめて生じた疑問と中井榮一博士のお答え
・・・・・・・・・・・田中里奈・中村知香子
フィールドワーク反省記  残った悔い・残念に思ったこと
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 高橋 亮
患者さんについて思ったこと、感じたこと、印象に残ったこと
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 熊丸 拓



     ハンセン病と介護用品について
担当: 叶丸 貴子

私達は岡山県邑久群にある長島愛生園でフィールドワーク研修をさせて頂きました。

沢山のものを見せて頂いた中で、障害のある方が日々の生活を送るための道具に興味を持ったので、それらのうちの一部を紹介したいと思います。

ハンセン病はらい菌が傷口、呼吸器などの粘膜に入ることで感染し、非常に長い潜伏期間を経て発病します。症状が顔面、四肢の変形や潰瘍を生み、完治しても視覚障害、変形のために手足が自由に動かないなどの後遺症が残ることがあります。

そのような方々が使いやすいように工夫された日用品を、実際に使用して見せて下さいました。

指が無くても一人で食事できる食器
(図 copyright(c)2000 KANAMARU takako)

その中から、つままなくても引張れる蛍光燈の紐(下左図)、指が無くても一人で食事できる食器(上図)、段になっていない洋式トイレ(下右図)、ウォシュレットのリモコンの4つをイラストにして見ました。
つままなくても引張れる蛍光燈の紐段になっていない洋式トイレ

(図 copyright(c)2000 KANAMARU takako)

いずれも、シンプルな形のものであり、そのまま介護用品として商品化できるほど工夫されていて、ハンセン病と介護の歴史の長さを感じました。

また、園内に患者さんが自分達のことを自分達でする、という空気があり、それが明るく自立的な雰囲気を作っているように思います。

緊張して ちゃんとした質問ができなかったことなど、悔いの残る部分もありますが、愛生園を訪れることで、実際に患者さんのお話をうかがったり、生活の場を見せて頂いて、 ハンセン病に対する理解を深めることができました。

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フィールドワークに行ってはじめて生じた疑問と
中井榮一博士のお答え
担当:田中   里奈
中村知香子

 2000年7月4日、フィールドワークとして長島愛生園を訪問、見学させていただいた。
その際に施設内や、島内を見てまわり患者さんや職員の方、施設にある物に対してさまざまな質問が出た。

 この後の1〜10の質問は見学後の事後学習の際にメンバーから出されたものである。これを、田中里奈が、愛生園研修をお引き受けくださった中井榮一博士に手紙でお送りし、次のようなお答えいただいた。(お忙しい中丁寧にご回答いただいた中井博士に感謝いたします。)

 また、その他の疑問点については訪問の際に中井先生に直接お聞きしたものや、参考の本によって解決した。

 以下はその疑問点と回答である。                                   中村知香子 記


《疑問点への中井先生の御回答》
1.共同納骨堂は石碑や十字架ではなく何故インドのストゥーパのような形をしているのか。

 納骨堂について。京都市の東本願寺様よりの寄付金がもとで出来たものと聞いております。
現在もこの派の人々が最も多いようです。佛教に縁があるということから
サンチー辺りのストゥーパの形式を踏んだのではないでしょうか。まあ、万人向きといえましょうか。
 
 

2.患者さんのコミュニティールームのような場所で患者さんの座る場所が決まっていたがそれには何か意味があるのだろうか。

 コミュニティールームでの入所者のかたがたの居場所ですが、これは人間関係の如何におり決まっています。
気の合わない方がた同志のとなり合せはやはり不都合なようです。
学校での席とは一寸違うかもしれませんが、皆さんは授業の時にはやはり気の合ったものどうしとなり合わせに座られますか。
この居場所がみたれますと病棟の経営は難しくなると思われます。
 
 

3.コミュニティールームで一見上手くいっているように見えたが何もトラブルはないのだろうか。

 2で述べたように必ずしも皆さんすべてが和気あいあいというわけには行きません。
皆さんおおむねそれぞれに独立しているとお考えになったほうが良いかもしれません。
永年月の共同生活ではつかず離れずが良いのではないでしょうか。
 
 

4.公認車は長島島内でしか走る事が出来ないのに給油の時はどうしているのだろうか。

 車燃料は車庫の敷地内にガソリンスタンドがありまして外部よりそこに供給を受けています。これは署へ届けて許可を得ています。
 
 

5.介護する人たちはどのような気持ちで患者さんと接しているのだろうか。

 皆さんに一日でも長く幸福な生活を送ってもらいたいと念じて接しています。自分達の肉親と思って接している人もいられるほどです。特に介護員の皆さんは30〜40年ですので
互いに全く良く分かり合っています。基本にお互い人間だという感覚があると思います。
 
 

6.介護する人たちはどうしてこの仕事をしようと思ったのか。

 やはり介護が好きである。誰か人の世話をしたい等などという希望を持った人々が介護にあたっておられます。
中途半端な気持ちでは介護はできかねると思います。自分のことは忘れなければならないのではないでしょうか。
 
 

7.部屋の表札の上にシールが張ってあって、そのシールの色がそれぞれ違っていたが、それには何か意味があるのだろうか。

 部屋のシールのことですが、確か赤と黄色があると思います。赤は担送、黄色は護送です。
担送は担架で運ぶという意味ですが、今ではストレッチャーなどが相当し、護送とは保護、誘導が必要だということです。
 
 

8.目が見えない事を前提にしてあるわりには手すりなどが少ないのはなぜ?段差も少ないからいらないのであろうか。

 手すりのことですが、「むつみ」棟ではまわりの壁にぐるりとあるはずです。
また、入所者の人たちは基本的には四肢、顔面に知覚麻痺がありますので手すりを手探りでつかむということもできにくいのではないかと思います。また多くの方は自分で歩くことも困難になりつつあります。
不自由棟(センター)に参りますと多くの方々が手すりを頼りにセンター内を移動しておられます。
 
 

9.個室のドアに生卵と書いたシールがはってあったのはどういう意味なのだろうか。

 毎朝朝食に卵がつきますが、それを生のままでよい方には「生卵」と表示をして間違いのないようにします。
今朝は生で、明朝はゆで卵などということはありません。
 
 

10.ハンセン病患者はだんだん少なくなっていき、後々にはハンセン病患者はいなくなるだろう。
     そうなるとハンセン病療養所はただの病院になってしまうのだろうか。

 ただの病院にはならないと思います。やはりハンセン病にかかわりのある施設として長く残ってゆくでしょう。
(今の処あまりはっきりしたことは申せませんが)外部との交流も実施して行きたいと思います。
 
 
 

《手紙でお聞きしたもの以外の疑問点と回答》
 

1.頭につけているヘッドギアみたいなものは何なのか。

 転んだとき頭をよくうつのを防ぐためのもの。つけている人を見てかっこいいからとつけている人もいる。
 
 

2.職員の方は通ってこられているのだろうか。

副園長のように長島島内に住んでいらっしゃる人もいるが、ほとんどの人は時間制で通ってこられている。
 
 

3.陶芸小屋と言うのがあったが、患者さんたちが趣味のために作られているのであろうか。

写真集にあったように患者さんたちが作られている。
 
 

○入所者の方々には基本的にはハンセン病後遺症による四肢顔面の知覚麻痺、運動麻痺があり、
それに高齢化しておられますのでまことに日常生活が不自由になりつつあります。(中井先生の手紙 末文)                                      
 
 

     疑問点と回答の一番上に戻る   ページトップに戻る        担当:田中   里奈 
中村知香子 




フィールドワーク反省記
フィールドワークを行なって残った悔い・残念に思ったこと
担当:高橋  亮

みんなの意見

・もう少しいろいろな患者さんと触れ合ってみたかった。

・患者さんに直接ハンセン病のことを聞いていいのか分からず聞けなかったこと。

 ・職員さんや看護する人たちは、どういう気持ちで接しているのか、直接話を聞いてみたかった。

・元患者の人と話す機会をいただいたのにビビったというかあがってしまって、あまり話を聞け
     なかったこと。

・患者さんたちの今の病気に対する気もちが、あまり読めなかったこと。

・心の準備ができてなく、聞きたいこともあまり聞けなかったこと。

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まとめ

・愛生園に行って、多くのことを見たり聞いたりすることができたが、まだまだ多くの疑問や残念に思ったことがあったと思う。

「残念に思ったことを」一つずつ書いてもらったが、みんな上に書いたことは思っていたと思う。

患者さんに自分の病気に対する気持ちを聞いてみたいと思っても、はじめて会った人にいきなりそんなことを聞くのも失礼にあたるのではと思った。

また、食堂の見学に行っていきなり話す機会をもらったので、何を話したらいいのか分からなかった。

それは患者さんと話すことだけに限らず、中井副園長や職員の人達にもそう思った。

たぶん自分も含めて、帰る途中か、帰ってきてから残念に思ったと思う。

元ハンセン病という患者さんに気をとられ、周りからハンセン病を見れなかったかもしれない。

患者さんに直接話を聞くのもいいが、聞けないのなら、いつもそばにいる職員さんがよく知っているのに聞けなかったのが残念だった。

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これから

これからはハンセン病を伝えるべきか、伝えないべきかというのが問題になってくる。

今回一緒に勉強した仲間は伝えるべきだと思っているし、自分も伝えるべきだと思っている。

問題はその伝え方にある。

自分達は多くの時間を使って勉強し、中井副園長の話も聞かせてもらい、そこそこ正しい知識はついてきたと思う。

一度に多くの人に伝えようとすると、相手が理解してくれたか確認が取れず、誤解を招く恐れがある。

だから、正しい知識を身につけている人が、知人を中心に少しずつでもいいから、広げていく必要があると思う。

また今回ハンセン病について考えてきたので、自分としてはここでやめることができなくなっているので、これからの動きに注目していきたいと思う。

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患者さんについて思ったこと、感じたこと、印象に残ったこと
担当:熊丸  拓


     
みんなの意見

      ・患者さんの話しを聞けたこと。体に気をつけるようにと繰り返し言われた。

      ・食堂にいた御老人たちの姿。

      ・人によっては私たちを一緒に住んでいるみたいに接してくれた。
       心を開いて話してくれた。

      ・いかに患者さんに接するかということの難しさ。会話することが難しい。

      ・人によって全然感じが異なっていた。
        いろいろ話してくれる人もいればそうで ない人もいる。
        人間として当然といえば当然だが、それとは違うものを何か感じた。

      ・ハンセン病を外からも内からも見れる中井副園長の話はとても集中して聞ける話しでもあったし、人柄がよかった。
       (患者さんではなく、これは職員についてです)


      〔まとめ

患者さんにどのように接すればいいかということを今回のFWでは考えさせられた。

食堂で初めて患者さんと対面した時、みんなそれなりにショックを受けていたと思う。

しかし、みんなそれではダメだと一生懸命会話を試みていた。

快く話しをしてくれる人もいれば、そうでない人もいた。

また、目や耳が不自由な人もいて、会話自体成り立たないという問題も生じた。

長く患者さんと接すればコミュニケーションも成り立ったかもしれないが、それだけで片付く問題ではないように思う。

私たちはもっと患者さんについて、看護について勉強する必要があると思う。

FWで職員の人たちにもっとお話しを聞いていればヒントになることもあったと思うと少し悔いが残ってしまう。

どう接したらいいかということは簡単には解決できない難しい問題のように感じた。


  ・ フィールドワークを通して思ったこと
      中井先生の講演を聞き終えた時点で、この病気を伝えるか、伝えないかが私の一つの問題となっていた。

フィールドワークでハンセン病を学ぶまで、私は親からまったく聞かされていなかったし、学校でもテレビでも病気の名前を耳にすることはなかった。

知らなければ当然差別することもないだろう、このままこの病気の存在自体消してしまったほうがいいのではないかと当初は考えた。

しかし今は、これは間違いだと思っている。

これは戦争と同じで、人々が知らずに時がたてば、やがて新たな差別が生まれる可能性がでてくると思う。

同じ過ちを繰り返さないために、ハンセン病を伝えることは必要である。

そこで新たに問題となるのが、どう伝えればいいのかということである。

メディアで大きく伝えるというのは誤解を生じやすいと思うし、患者さんの立場で考えてみてもあまり好ましくないように思う。

だから私はこの経験を、家族や友人といったある程度信頼している、されている人たちに伝えようと思っている。

そうすれば理解不足によって生じる偏見もかなり少なくなるだろう。
また、本当にこの病気に関して理解したいと思っている人にも伝えていきたい。

一番理解できる方法は、一人一人がこのフィールドワークのように、実際に療養所を訪れ、自ら学ぶといった機会をつくることではないだろうか。

そうすれば差別や偏見は絶対に起こらないと思う。しかしこれは実際には、なかなかできることではないし、患者さんにも負担がかかる。

よって私は、私が今できる、身近な人から伝えるという方法が一番いいのではないかと思っている。

 [熊丸  拓]
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